風の噂によれば、石間秀機は高校卒業後、札幌でバンドを結成しギタリストとしての
1964年、彼はこのバンドを抜けて上京し、ジ・アウトロウズを結成。
GSブームが終焉を迎えた68年、ビーバーズは解散。この年、石間秀機は内田裕也に誘われ
フラワー・トラヴェリン・バンドは、日本人としてのオリジナリティを表現した
バンド解散後、石間秀機はソロ・アルバム『ONE DAY』制作、クニ河内のアルバム『切狂言』への参加、 |
そのいくつかを紹介してみよう。フラワー・トラヴェリン・バンドの盟友でもあったジョー山中の
萩原健一とドンジュアンR&Rバンドを結成し、
沢田研二とバンドCo-coloを結成し『Co-colo1-夜のみだらな鳥達-』(86)『告白』(87)
この他、根津甚八のアルバム『火男』(82)の制作とライブ参加、
以前、彼にインタビューをした時、この時期のキャリアについて水を向けると、多くを語らずに、
確かに、この活動ぶりは多彩だが、ちょっと注意して見れば、ギタリストとしての彼が自在なスタイルや
1998年、石間秀機はインド・ビシュヌプール派最高峰のシタール奏者、パンディット・モニラグ・ナグ氏
そして、シタールとギターを融合させたオリジナル楽器シターラを開発し、2000年には
気まぐれとも見える足跡は、石間秀機の音楽に向かう姿勢の純度の高さの素直な現れなのだと思う。 |
|
文責・前田祥丈 |